フィリピンで留学をする生徒は、2015年についに35,000人を突破しましました。
格安でマンツーマン指導を受けられる観点から、欧米ではなくフィリピンを選択肢に入れる人は非常に多く、今後も増え続ける見込みです。
フィリピンは英語大国第3位と言われており、街中には英語の看板で溢れ、映画館に行けば大人も子供もアメリカ映画を字幕なしで見ています。
また地域差もありますが校内にいる時は英語を話すことが義務付けられている学校が多く、英語教育に熱心な国です。
日本と同じアジアに位置しているにもかかわらず、フィリピンでここまで英語が人々の生活に溶け込んでいるのはなぜでしょうか?
それはフィリピンの歴史に関係しています。
異文化を理解するためには、歴史的背景は欠かせません。
そこで今回はフィリピンの歴史を紹介したいと思います。
フィリピンに置いて、大きく歴史が動いたのはマゼラン大航海時代からになります。
1521年
時は大航海時代。世界各国が新たな資源を求め、新天地の開拓に励んでいました。
スペイン国王の命令を受け、探検家のフェルディナンドマゼランは香辛料を求めて席一周の旅に出ます。
その航海途中、フィリピンのセブ島に立ち寄ります。
そして、征服しキリスト教を布教させていきます。
フィリピンの原住民たちは次々と洗礼を受けていきますが、セブの隣・マクタン島の部族長ラプラプはこれを拒否。その結果、マゼラン率いるスペイン軍とラプラプ率いるフィリピン軍との戦いが始まります。
ラプラプは圧倒的な人数と戦略を持ってマゼランを倒し、フィリピンからスペイン軍を追い出します。
征服者に立ちむかい、勝利したラプラプ王は現在も英雄としてフィリピンの人々に愛され、東南アジア史に大きな光をもたらしています。
しかしこの後、ラプラプ王が亡くなったことで、フィリピンは大半がキリスト教の洗礼を受け、フィリピンはついにスペイン植民地と化し「スペイン領フィリピン」となります。
その結果、今のフィリピンではスペイン植民地時代の名残である遺跡が多く残っています。また数字や地名にもスペイン語が用いられています。
(⇧スペイン統括時代の名残;ビザン地域)
スペイン領となり、スペイン語が広まりつつあったフィリピンに再び大きな転機が訪れます。
1898年
当時「独立&革命」がうたわれており、スペイン領キューバをめぐりアメリカとスペインが争っていました。
米西戦争の勃発です。
その火の粉はフィリピンにも降りかかります。
スペインからのフィリピン独立を支援していたアメリカでしたが、米西戦争でスペインが敗北したのを皮切りに、手のひらを返し植民地とします。
フィリピンの独立を支援していたアメリカの態度の変わり具合に激怒したフィリピン国民は独立をかけ戦争に挑みます。
米比戦争です。
しかし、この米比戦争はフィリピンの惨敗に終わります。
当時大統領であったアギナルドは捕虜となり、フィリピン第一共和国は滅びます。
その後、フィリピンは太平洋戦争後までアメリカの統治下におかれます。
アメリカの植民地となったフィリピンでは英語が普及されアメリカ式の教育が導入されます。
これが、フィリピンの人々に今も英語が浸透している理由です。
みなさん何気なく留学先に選んでいるフィリピンですが、世界情勢に巻き込まれ翻弄された結果、今があります。
私たちはただ英語を学びに来るのではなく、フィリピンのことをもっと知ってもらいたいという願いから月に1回フィリピンの歴史をめぐるツアーを行っています。
(↑以前行った神風特攻隊の遺跡にて)
ただ暮らすだけでなく、その国のルーツを知ることでより文化への理解を深めることができますよ。
この機会に英語と歴史を学びに来ませんか?
読んでくれてありがとうございました!
こちらもポチッとしてくれると励みになります☆
⬇️ ⬇️
にほんブログ村
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
WHAT DO YOU THINK ABOUT フィリピン留学?
初心者歓迎 Basic English Camp
ホームページ http://english-bec.com
フェイスブックページ https://www.facebook.com/basic.english.camp
動画はこちら https://www.youtube.com/watch?v=8_VAH8EqpRg
HP・お問い合わせはこちら☆☆ラインだけのお得な情報有り♪毎月1名に空港券代還元!?